Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$admin_options_name is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$config is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$disable_contextual_help is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$disable_update_check is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$hook_prefix is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$form_name is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$menu_name is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$name is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$nonce_field is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$settings_page is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$show_admin is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$textdomain is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$textdomain_subdir is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 97

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$author_prefix is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 100

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$id_base is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 101

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$options_page is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 102

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$plugin_basename is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 103

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$plugin_file is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 104

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$plugin_path is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 105

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$u_id_base is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 106

Deprecated: Creation of dynamic property c2c_AllowMultipleAccounts::$version is deprecated in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php on line 107

Warning: Cannot modify header information - headers already sent by (output started at /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-content/plugins/allow-multiple-accounts/c2c-plugin.php:103) in /home/instem/instem.jp/public_html/stage/wp/wp-includes/feed-rss2.php on line 8
Osamu Sakura – INSTeM https://stage.instem.jp Inter-field Network for Science, Technology and Media Studies Fri, 19 Jul 2024 01:40:45 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.6.10 《佐倉統のフィールドノート③》 台湾で調査が進まない話 〜「台湾らしさ」とはなんだろう〜 https://stage.instem.jp/article/2023/12/14/1339/ https://stage.instem.jp/article/2023/12/14/1339/#respond Thu, 14 Dec 2023 11:29:36 +0000 https://stage.instem.jp/?p=1339 このフィールドノート、第1回と第2回は韓国からだったが、今回は台湾からお届けする。今年(2023年)の8月まで韓国にいた後、9月初旬から台北の国立政治大学に客員教授として滞在している。研究テーマは、台湾における人とAI/ロボットの文化的側面である。

なんだけれども、これがはかどっていない。おもに研究者へのインタビュー調査なのだが、なんだかうまくいかないのだ。この原稿執筆時点で残りちょうど1か月を切った。かーなーり、まずい状況だ。

いったいなぜなんだ? というのがこのエッセイのテーマである。だがその話をする前に、韓国滞在中に台湾への橋渡しとなる出会いがあったのでそのエピソードからはじめよう。今年の6月末から7月上旬にかけて、韓国・大田(テジョン)のKAIST(韓国科学技術院)で開かれた国際環境史学会に参加したときのことだ。この学会自体とても有益で稔りが多かったのだが、何日目かの終わりにそこらの人たちと流れていって一緒に食事した中に、台湾出身で今はオランダを拠点に活躍している40代のアーティストがいた。

当然、おお、台湾の御出身なんですか、ぼく9月から台湾に行きますよという話になる。そしてぼくが「台湾ドラマの《茶金 ゴールドリーフ》1を見ましたよ、とてもおもしろかった」と言うと、彼の目がキラリと光り、ぐぐっと前傾姿勢が強まった。このドラマは、1949年、太平洋戦争が終わって日本から中華民国国民党に統治が移り、台湾社会が大きな混乱と動乱にあった時代、台湾北部の大手製茶企業を舞台に人間模様を丹念に描いた美しくもダイナミックな話である。

ぼくとしては普通にドラマとしておもしろかったと言いたかったのだが、彼の反応はちょっと意外だった。「あのドラマはぼくたちにもぼくたち自身の歴史があるということを教えてくれた。そしてわかりやすく描いてくれた。ぼくたちにとってアイデンティティのドラマなんです。あれを制作する過程で新たに発見された史実もあるんです」。

テレビドラマが社会や民族のアイデンティティの再発見につながるという発想は、それまでぼくにはなかった。また、テレビドラマが史実の発見に貢献するというのも新鮮だった。日本だと、だいたい歴史ドラマは「史実と違う!」と歴史警察からSNSでイチャモンをつけられて炎上していて、ドラマと史実は相性が悪い。

近過去を描いたテレビドラマが民族のアイデンティティを再発見させてくれる国。それが台湾なのか2。

彼の話を聞きながら、ぼくはだいぶ前に台湾中部の台中にある国立自然科学博物館を訪問したときの驚きを思い出していた。台湾最大、アジアでも最大級の科学館は、博物館好き、科学館好きなら必ず訪れるべきところだ。ぼくが見たときは中国医療や気の哲学と科学の関係など、中華圏ならではの展示も充実していてとても楽しめたのだが、一方でどこまでいっても「中国」の科学と技術が延々と続くことに違和感を覚え、同時に、なるほどそういうことかと、台湾と中国の複雑な関係の一端に、今さらながら気づかされもした。

台湾は中国文明の直系の末裔でもあり、並行して独自の歴史とアイデンティティを築いてきた地域でもある。

四四南村から台北101を望む。四四南村は、共産党との内戦に敗れて台湾に逃れてきた国民党関係者の仮住まいのような居住地をリノベーションしてカフェなどが入っている区域。台北101は2004年に完成した101階建ての高層建築で、2010年までは世界一高いビルだった

そんなこんなを頭の片隅に置きながら始まったぼくの台湾生活だったが、安くて美味しい食事三昧で体重は順調に増えていくものの、冒頭に書いたように肝心の研究がいっこうにはかどらない。

こういうテーマで調査をしているんでよろしく、とインタビューを始めるのだが、こちらが狙った話題やテーマに話が収斂していかない。あちらの興味関心に合わせて話が横滑りして行ったり、ぼくが意図するところを明確には理解してもらえなかったり、質問に答えてくれるんだけどうわべだけの話題になっていたり、それでもう少し突っ込むと同じ話題の繰り返しに終始したり、といったことが続いている3 。

はじめのうちはまあこんなもんだろうと呑気に構えていたが、4人、5人とそういう状況が続くと、さすがにあせり始める。ぼくのインタビューアーとしての力量不足なのか? いやいや、韓国では同じ話題、同じ方法でそれなりの知見を得ることができた。原因は違うところにあるはずだ。

それは何なのか? どうしたらこの八方塞がりを突破できるのか? 1か月半ほど、もんもんとこのことを考え続け、最近ようやく気がついたのが、台湾の文化的アイデンティティが空白なのではないかということだ。いや、空白というのは良い表現ではない。誤解を招きそうだ。文化的な多元性が生のまま存在していると言った方ほうがいいかもしれない。

いや、これでもまだ分かりにくいか。たとえば、台湾料理を考えてみる。南部、中部、北部などの地域ごとの違いと、客家(ハッカ)や閩南(ビンナン)人などの民族による違いが絡み合い、多種多様な料理があってどれも美味しい。しかしそれらを「台湾料理」と括ることができるのか。括ってしまえばそれはほとんど中華料理のようなものになってしまうのではないか。

中華料理にも北京、上海、四川などさまざまな種類があるが、「中華料理」としてのなんとなくのアイデンティティはある。中華料理屋にフォアグラを期待していく人はいない。日本料理でもフランス料理でもメキシコ料理でも、どの料理でも同じだ。いろいろなバリエーションが存在するが、全体としてのアイデンティティはある。

だが、台湾料理の場合、このような全体のアイデンティティが難しい。小籠包は中国料理なのか台湾料理なのか。魯肉飯はどうなのか。このように考えていくと、「台湾料理」としてのアイデンティティは霞んでしまい、台北料理なのか台南料理なのか客家料理なのかといった、個々の多元的な下位カテゴリーがむき出しのまま並ぶことになる4。

台湾の民族構成を紹介するパネル。国父紀念館にて

台湾は、多民族国家である。人数は少ないが16の部族がある原住民5、17世紀以降断続的に中国大陸南部から渡ってきた閩南人(福佬[ホーロー]人)や客家人6、太平洋戦争後に中国の国共内戦に敗れて逃れてきた国民党系中国人、1980年代ごろから増えている東南アジアや中国から新しく移住してきた新住民……。

さらに世代ごとの違いも大きい。日本占領時代に生まれ育った人、蒋介石の国民党強権政治時代に教育を叩き込まれた人、1980年代後半の民主化以降に生まれた若い世代。親子3代で話す言葉も価値観も民族的アイデンティティも異なる。

これらのことは、台湾についての概説書や入門書には必ず書かれている話ではある。ぼくも当然、頭では理解していた。しかし、実際にそういう社会の中で数か月暮らすということは、書物を読んで理解するのとはまったく質の異なる体験だった。時間軸と地域差が絡み合った網の目のような民族と文化の多元性が、濁流のように社会の底を流れ、あちこちで渦を巻いている。日常のさりげない会話、たとえば今度の選挙はどっちが勝つと思うか、とか、この料理はとっても美味しい、とかいったことが、一皮むくとすべて多元的な民族、文化の話につながっている。

日々、そういう状況が当たり前の社会の中で暮らしてきた台湾ネイティブにとって、「人とロボットやAIの関係における“台湾らしさ”ってなんですか?」というあまりにも素朴で無邪気なぼくの質問は、どう対処したらいいのかわからず、戸惑いを呼び起こすものだったのではないか。そもそも台湾らしさっていうのがこんがらがった網の目状態なのだから。

こう考えてみると、日本からフラッとやってきてこんなナイーヴな質問を発する輩のことは、もっとバカにしても良さそうなものだ。お前、なに言ってんの?と。だが幸い、今のところそういう目にはあっていない。むしろ歓迎してくれて、いやいやおもしろい話ができてよかった、などと別の機会に夕食に誘ってくれたりする。台湾の人は親切で優しい。もう少し自分を正当化して言えば、今さらこんな単純素朴な見方に出会ってかえって新鮮で、それなりに考えるところがあったということかもしれない7。

1階がコンビニになっているお寺。こういう雑食性というか折衷的というか気にしないというのが台湾らしいと言えるのかもしれない

さて、ぼくとしてはそういった民族的・文化的多元性の中で、科学技術に対するイメージがどういう作用をはたすかを明らかにしたいと思っている。科学技術が文化的アイデンティティとの関係で語られることは、いつの時代でもどこの地域でも、珍しいことではない。

たとえば日本なら、自動車やロボットは産業として大きな存在であるだけでなく、日本社会の文化的アイコンとしても機能している。自動車なら、日産スカイラインGT-Xの神話やトヨタのカンバン方式。ロボットなら鉄腕アトムやドラえもんに始まって、ガンダムと攻殻機動隊を経てエヴァンゲリオンに至るラインナップ。これらを見るだけで十分だろう。

自動車もロボットも日本の社会と文化の中に深く根をおろし、社会と文化から影響を受けている。そしてそれだけでなく、社会と文化にもさまざまな影響を与えている。ドイツの自動車産業もアメリカの情報産業も、同様だ。いずれもそれぞれの社会と文化の中に深く埋め込まれている。

では台湾ではどうなのか。どんな科学技術が、多元的で多様で網の目のようにこんがらがった文化的アイデンティティの国において、アイコンとして存在しているのだろうか? 次回、そのあたりについて述べることにしよう。

  1. 瀚草影視と台湾公共電視が2021〜22年に製作・放映したドラマ。台湾でも大きな話題になり、台湾のエミー賞と言われる金鐘奨で16部門にノミネートされた。2023年11月現在、日本でも複数の動画サービスで配信されている。
  2. 今にして思うと彼の言いたかった主旨は、蒋介石と国民党の視点からしか語られてこなかった1940年代後半以降の台湾の歴史において、客家(ハッカ)などさまざまな民族と人々の物語/歴史(ストーリー/ヒストリー)があることがようやくテレビドラマの領域でも認識されて台湾国民一般に広く知れ渡った、ということだったと思う。このような動きは現在の台湾の文学や批評などでも盛んなようである。
  3. 方法論について一言補足しておく。ぼくが採用しているのは非構造化インタビューである。こちらが聞きたい作業仮説を明確にして検証するための構造化インタビューではない。相手がどのようなことを考えていて、どのような問題意識をもっているかを探ることが主な目的だからだ。
  4. これは統治体(国家)としての台湾の曖昧さに起因するという解釈も可能かもしれない。台湾が独立国家として自他共に認める存在であれば、中華料理と台湾料理のそれぞれが、スペイン料理とポルトガル料理のように相互に独立した文化システムとして認識されるのかもしれない。しかし「文化」の単位として国家を常に想定するのが良いかどうかわからないところもあり、ぼく自身、この問題をうまく言語化できないでいる。それが調査がうまくいかない原因のひとつでもある。
  5. 台湾では「原住民」が公式の用語として使われている。日本語ではこの語には蔑視のニュアンスがあるので「先住民」が使われることもあるが、この語は中国語では絶滅した民族の意味になるので避けられている。日本語の語感を優先するべきか台湾での用法を優先するべきか、日本語での表記には揺れが見られる。部族数の16は2023年現在台湾政府が公認している数。
  6. 最初に触れたテレビドラマ《茶金 ゴールドリーフ》は客家の人々が主人公。
  7. 本稿では文化的アイデンティティを語る際に言語についてあえて触れないで論を進めた。言語の問題は「国語」や「公用語」という問題を通してとりわけ統治権力と結びつきやすく、政策課題の色合いが強くなりやすい。それは避けたかったからだ。だが一方で、それが考察を浅く狭いものにした可能性もある。ことほど左様に文化の問題は論じるのが難しい……。


(写真はすべて著者による撮影。冒頭は国家音楽廰。オーケストラのコンサートなどが開かれるホールだが、外観も内装も西洋音楽の殿堂という感じではない。音響は良い。)

]]>
https://stage.instem.jp/article/2023/12/14/1339/feed/ 0
《佐倉統のフィールドノート②》 韓国の仁川と日本の横浜が似ているという話 〜西洋近代化の尺度としての科学とオーケストラ〜 https://stage.instem.jp/article/2023/08/09/1076/ https://stage.instem.jp/article/2023/08/09/1076/#respond Wed, 09 Aug 2023 05:00:00 +0000 https://stage.instem.jp/?p=1076 「仁川(インチョン)? まあ、日本の横浜みたいなところですね」──ぼくが仁川に行くと言うと、韓国の知り合いの誰もが異口同音にこう言った。港町だし、中華街あるし、と。そして、実際そうだった。

仁川といえば国際空港がまっさきに思い浮かぶが、空港以外に何があるか、正直なところまったくイメージがなかった。しかし、ちょっと意外なことに韓国で人口が第3位の大都市で(2位は釜山)、ソウル近郊圏として発展を続けているだけでなく、韓国に西洋近代文明をもたらした玄関口であり、韓国近代化の出発点でもある。韓国の中でも独特の位置を占める、奥の深い都市なのだ。

仁川と横浜が似ているというのは単なる表面的なものではなく、両国の文明史の過程そのものに共通点があることを意味する。韓国と日本という、非西洋文明にあって一定の教育文化水準を持っていた国が、西洋化という名の近代化を外から強要され、それに応じて教育制度をはじめとする国内諸制度を変革していった、その西洋近代化の最先端の窓口が、韓国では仁川、日本では横浜だった。

横浜は、いろいろなものの「日本初」を誇っている。ビール工場、製パン業、アイスクリームなどの飲食物もさることながら、電話や鉄道といった近代社会のインフラの始まりが横浜だ。仁川も、韓国最初の近代郵便制度のひとつ(1884年)や列車(ソウル−仁川間、1899年)の発祥の地である。中華料理のジャージャー麺を韓国風にアレンジしたチャジャン麺も仁川中華街が起源とされる(あんまり美味しいとは思えなかったけど。「元祖」が必ずしもベストでないのも万国共通)。

さらに、単に「起源」としての共通点だけではない。「今」の姿も共通する。横浜は埋め立て地のみなとみらい地区が再開発されて、おしゃれでモダンな商業地域と高層タワーマンションが立ち並ぶ住居地域になっている。仁川でも松島(ソンド)という埋め立て地域が「国際都市」と名付けられて同様の位置にある。

松島の海辺には新しく音楽、美術、演劇の総合施設であるアートセンター仁川が建設中で、大きなコンサートホールはすでに稼働しているが、美術館は2024年開館予定とのことだった。仁川滞在中にこのホールでオーケストラのコンサートがあり、仁川フィルハーモニー管弦楽団と京畿フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を聴くことができた。

オーケストラは、言うまでもなく、ヨーロッパ古典音楽の演奏団体だ。なので、日本や韓国といった非西洋文明国のオーケストラの状況は、その国が西洋文明をどれくらい取り入れて定着させているかのバロメーターになるはずだ。楽器の独奏や歌の独唱であれば、突然変異的に上手な人がいればレベルは高くなるし、欧米のどこかに拠点をかまえて活動することも可能だ。そのような個人の演奏からは社会全体の「西洋化度」は見えにくい。しかし、オーケストラは50人以上、場合によっては100人近くが同時に参加する集団行為だ。当然そこには、社会の縮図が立ち現われてくる。

日本もそうだが、韓国もオーケストラ活動は盛んだ。ソウルには複数の楽団があるし、釜山、光州、大邱など一定の規模の都市はその地域のオーケストラを有して活動している。ソウル近郊でも仁川のほか、富川市、城南市、水原市には自前のオーケストラがあり、富川と城南には立派なコンサートホールもある(韓国全体のオーケストラの数は確定が難しいが、"Musical Chairs"というサイトでは15団体が、"dbstrings.com"では12団体がリストアップされている)。

日本でも状況はよく似ている(2023年現在、日本のプロのオーケストラは33団体である。このほかにも多数のアマチュア団体が活動している)。韓国と日本でこれだけの数のオーケストラがいっせいに西洋古典音楽、それもかなり共通したレパートリー(ベートーヴェンとかチャイコフスキーとか)をせっせと演奏しているというのは、とても興味深い。要するに、西洋近代化の結果は、世界中どこでもだいたい似たり寄ったりになるということだ。ショッピングモールがどこの国のどの都市に行っても似たようなラインナップの店しか入っていないのと同じ現象、すなわち「マクドナルド化」である。

現代の科学も、西洋文明に起源をもつ。そして日本も韓国も、19世紀から20世紀前半にかけての西洋近代化の過程で西洋近代科学の枠組みや手法を積極的に取り入れ、教育制度の中に組みこみ、人材を養成していった。少なくとも日本では、西洋音楽も近代科学も明治期には「文明の最先端の象徴」として、オシャレで「ハイカラ」なだけでなく、世の中を良くしていくために必要なものと認識されていた。農村改良家としての顔ももつ宮沢賢治が、近代科学だけでなく西洋クラシック音楽を愛好していたことはそれを端的に示している。

さて、このように日本も韓国もせっせと導入にいそしんだ西洋近代の科学と音楽だが、現在、どちらもが大きな曲がり角に直面している。おそらくこれは民主主義や市場原理などとともに、西洋近代という大きな枠組み自体の曲がり角であることの一部なのだろうが、その点はここではおいておく。話を科学と音楽に絞る。

西洋近代科学が直面しているふたつの問題は、その方法論そのものが限界に達していることを示唆している。ひとつは「再現性の危機」であり、もうひとつは「査読システムの危機」である。

西洋近代科学は普遍的で文脈に依存しない知識を追究する。したがって、誰かが報告した知識が「本当に」正しいかどうかを、他の専門家たちが追実験や追試験によって再確認する必要がある。何度も再確認できれば、ようやくそれは「正しい」知識と認定される。つまり科学の知識には再現性がなければならない。

しかし現在、この再現性を十分に兼ね備えていない論文が、とくに生命科学や社会心理学などの領域で多いことが問題になっている。「再現性の危機」である。さまざまな要因が複雑に絡み合っているのだが、そのひとつとして、生命現象や社会現象のような複雑な対象では再現性を厳密に保つことが難しいという方法論的な限界があると考えられる。

現代の科学のもうひとつの問題は、発表論文の事前査読制だ。再現性の危機は論文発表後の事後チェック機能の問題だが、こちらは事前チェック機能の問題である。西洋近代科学は、同じ分野の専門家たちが集まる学会や協会という集団において知識をチェックすることでその信頼性を高めてきた。論文を学会誌に投稿しても、このチェックシステムを通過できずに掲載が却下されることは珍しくない。

だが、この事前査読は同業科学者による完全なボランティア作業である。科学者の人数が少ないときはまだしも、現在のように何万人もが同じ分野でしのぎを削り、それに伴って学会誌や専門誌の数も雨後の竹の子のように増えてくると、優れた査読者(すなわち優れた専門家)に事前査読が集中して過剰な負担になり、それを避けようとレベルの低い査読者(二流の専門家)に事前査読を依頼すると、査読が見当外れだったり時間が法外にかかったりといった停滞が生じる。結果として、すでに権威を確立している一流の学術専門誌以外では、質の高くない論文が大量生産されることになる。

そうなると、雑誌の「質の高さ」の尺度化が提案され(被引用指数:Science Citation Index)、「質の高い」雑誌に何本論文を掲載しているかが研究者の優秀さの尺度だという話になる(h-indexなど)。そうすると、その尺度化が行き過ぎて、過度の定量化の弊害が指摘され出す(←イマココ)。

このような状況をひとことで言えば、「科学的な知識生産・流通システムの制度疲労」だと思う。19世紀の、今から見れば少人数の集まりだった学会・協会だからこそ成り立っていた、お互いの無償奉仕による仕組みが、現在の状況にそぐわない事態になっていると言ってよいだろう。現在、事前査読なしで論文を公表できるプレプリントサーバーや著作権を放棄した作品をアップするアカデミックコモンズなど、既存の学術専門誌を経由しない知識生産の方法が模索されている。しかし、まだまだ手探りの状況であり、今後どのようになっていくのか、科学的知識生産がその根本の部分は保ったまま微修正で生き残っていくのか、もう少し大きな変革が不可避となるのか、見通しは立っていない(科学の現状についてのより詳細な議論は拙著『科学とはなにか』講談社ブルーバックス、2021を参照いただきたい)。

ほころびを見せているという点では、オーケストラも同様である。現在のオーケストラ編成の基本型が完成したのは18世紀後半(ハイドン、モーツァルトの時代)で、19世紀を通じて拡大し、20世紀前半から中頃に録音技術の進歩普及とともに最盛期を迎えた。だが、100人近くの楽団員が常駐し、音楽活動を継続していく仕組みを維持するのは経済的にも負担が大きく、アメリカではフィラデルフィア管弦楽団などの名門楽団が破産したり、イギリスでは公的補助金のカットが問題になったりと、仕組みそのものがぎくしゃくしている状況だ。

このような状況をなんとか改善しようと、世界中の多くのオーケストラが地域との密着度を高めたり教育プログラムを充実させたり、コンサートを短時間化して新たな聴衆層獲得を模索したりしている(たとえば、潮博恵『オーケストラは未来をつくる』アルテスパブリッシング、2012にはサンフランシスコ交響楽団のユニークな地域活動が紹介されている)。しかし、オーケストラという仕組みがどのように変化していくのか、見通しは立たない。日本の指揮者・山田和樹は、100年後にオーケストラはあるか?と聞かれて、「ない」と即答している(浦久俊彦・山田和樹『「超」音楽対談 オーケストラに未来はあるか』アルテスパブリッシング、2021)。存続しつづける理由が見当たらない、と。

近代科学でもオーケストラでも、斜陽化するシステムの中で、遅れてそれらの「会員制クラブ」に参加できた日本と韓国は、せっせと水準を上げ、世界の一流と肩を並べるような成果をあげ続けている。

だが、これがいつまで続くのだろうか。続けていくことができるのだろうか。

仁川のコンサートホールはとても立派で、松島の夜景の美しさも相まって、ほれぼれするような環境にある。ソウルに隣接する富川市のアートセンターも昨年(2023年)開館したとのことだ。一国の経済発展から少し遅れて文化が発展するのはどこでも同じだが、この先、経済発展があまり望めない世界的な状況にあって、これらの立派なコンサートホールを維持していくのは相当な負担を将来世代に負わせることになるのではないか。

少子高齢化が進む日韓両国は率先してゲームチェンジャーにならないと自国の存続が危ういようにすら思うが、大阪万博だー、釜山万博だーと言っているようでは、それも期待できそうにない。どうしたらいいんだろうか……?

アートセンター仁川のコンサートホール外観

(写真はすべて著者による撮影。冒頭は仁川市、松島地区の夜景)

]]>
https://stage.instem.jp/article/2023/08/09/1076/feed/ 0
《佐倉統のフィールドノート①》 韓国には大人向けの科学技術館がない https://stage.instem.jp/article/2023/06/13/919/ https://stage.instem.jp/article/2023/06/13/919/#respond Tue, 13 Jun 2023 05:19:41 +0000 https://stage.instem.jp/?p=919 今年(2023年)の4月から、サバティカルを利用して韓国に滞在している。こちらのAIやロボットに対するイメージを調査するためだ。2か月経ってだいぶ慣れてきたところ。韓国と日本、当然ながら同じところ、違うところがいろいろある。そういった比較でちょっと興味深いものを御紹介していきたい。

最近気づいた日韓相違点のひとつは、科学技術館が子供向けのものしかないということだ。日本には東京お台場の日本科学未来館や北の丸の科学技術館、大阪市立科学館、名古屋市科学館など、子供だけでなく大人も楽しめるコンセプトの科学技術館がいくつかある。台湾には台中に立派な国立自然科学博物館がある。インドや中国*についてはよく知らないが、アメリカやヨーロッパでも状況は同様だ。

だが、韓国には大人向けの科学技術館がない。科学技術館そのものは首都圏にはソウル市のほか隣接する果川市と仁川市にあり、その他韓国の主要都市──釜山、光州、大邱、大田、蔚山などにも設置されている。ほとんどが国立のものだ。ソウルと仁川のものは行ってみたが、どちらも体験型・参加型を中心に子供たちの興味を惹く工夫がこらされていて、科学情報の提供も過不足なく洗練されており、よくできた児童向け科学館である。

だが、大人が見ることをまったく想定していない。某館では大人だけでは入場できませんといったんは断られ、科学コミュニケーションの研究をしているんですと説明して、どうにか入れてもらえた次第。別の所でも来館の目的を聞かれた**。

参加体験型の楽しめる展示が多く、よく考えて設計されている

なんで子供向けばかりなのかと、ソウル大学の旧知の科学技術社会論研究者に聞いたら、入館者数を稼ぐためだという答えが返ってきた。博物館建設は政治家の利権が絡んで決められることが多い。しかし表向きの建設理由が必要なので、大勢の入館者が見込めて世に貢献するコンテンツとして青少年あるいは児童をターゲットにした科学技術ものが選ばれる、というのである。たしかにソウルでも仁川でも、子供たちは大喜びだった。教育効果は高いだろう。それは間違いない。

彼の説明には説得力がある。科学技術館だけでなく自然誌博物館もお子様向けがほとんどだからだ。恐竜や宇宙が子供も喜ぶ鉄板コンテンツなのは世界万国共通。来館者数というわかりやすい、ある意味安直な指標をかせぐ必要があるとすれば、美術や文化物ではなく、わかりやすい科学系が中心になるのは理解できる。

もう少し極端に言えば、科学技術館が動物園的な存在として認知されているということである。子供の教育啓発と娯楽的要素の組み合わせ。大人向けの来館者数が子供向け科学技術館ほど見込めないのはやむをえないとしても、これだけ工業が発展して情報技術産業は世界トップクラスにある国としては、もう少し大人が科学技術を楽しむ施設があってもいいように思う。韓国の歴史的な科学技術についてほとんど展示や説明がないのも、もったいない気がする。

ところどころにこのような科学者・技術者たちの言葉が書かれているが、韓国の科学者は登場しない

ロボットのことについていろいろな人の話を聞いていると、基本的な部分は日本人のロボット観とよく似ているものの、ロボットとの距離感に戸惑ったり、親密さをそこまで感じなかったりという感覚が、日本人より多い割合で見られるように思う。AIBOの長寿を祈願しに寺に行くのは理解できない、韓国の文化コードにない、とまで言う人もいた。韓国文化の底流にあるシャーマニズムとの関連を指摘する人もいた。

以前、東アジアの科学技術社会論研究会で、韓国には鉄道オタクがいないという発表があった。代わりに飛行機オタクが多いという。後で別の韓国人に聞いたらそんなことないぞとムキになって反論されたのでそこまで信憑性が高い話でもなさそうだが、それでも日本より圧倒的に少ないことは確実だとその反論した人も言っていた。

社会の中での技術の位置、人と技術の距離、人工物への親密感。これらは、日本と微妙に異なっているようだ。それが、大人向け科学技術館がないことに表れているというのは強引に過ぎるだろうか。

仁川広域市子供科学博物館にて。みんな大好き、ロボットの集団ダンス

つい先日、韓国初の宇宙ロケット、ヌリ3号の打ち上げ成功があった。韓国語がよくわからないままつけっぱなしにしているテレビのニュースチャンネルでも大々的に報じていたが、もうひとつ熱量が伝わってこない。韓国で初めての自国ロケット打ち上げなのに。ヌリロケットは積載容量が小さい上に静止衛星軌道までは届かないなど技術仕様にはいろいろ問題があり、単なる政治的パフォーマンスだとの批判も強い。しかしそれならそれで、政治的側面とも絡めてあれこれ議論が起こりそうなのに、そういう取り上げ方でもない。政治家の不正や汚職追及、さらには福島の「汚染水」(韓国ではこのように言う)の方がはるかに熱っぽく報道されている。ある種の技術について、他人事のように若干遠くから見ているのだろうか。

一方で、生活場面での情報技術の浸透度というか依存度はものすごい。スマホが完全に社会のインフラになっていて、大げさでなく、外食もコンサートも列車に乗るのも何から何までスマホがないと生活できない。情報技術にどっぷり浸かっている社会だ。

この、一方では科学技術を敬して遠ざけるような距離感と、頭のてっぺんまで情報技術に浸かって日々を暮らしている状況との格差が、どうにもうまく理解できずに日々を送っている。

* 中国には、北京、上海、広州、武漢、香港などの主要都市には科学技術館がある。ウェブで調べた限りでは、やはり子供や青少年がメインターゲットになっているところが多いが、大人料金が設定されていたり、大人の訪問クチコミが書かれていたりするところが多く、必ずしも子供限定ということはないようだ。日本に似た状況ではないかと推察される。

** 釜山のLGディスカバリーラボはおもしろいという情報を得ているが、未見。ウェブページを見る限りではやはり青少年向けのようでもある。

(写真はすべて著者による撮影。画像の一部を加工している写真があります)

仁川広域市子供科学博物館。やっぱり子供向けの雰囲気
こちらも参加体験型型展示が主流。これは人体の大きな模型の中を来館者が通り抜けることができるようになっていて、口から食物が入り消化吸収されて最後排泄されるまでを「体感」できる展示
]]>
https://stage.instem.jp/article/2023/06/13/919/feed/ 0