今年の夏は暑い。毎年そう言っている気がするが、今年は本当に暑い(と、去年もそう言った気がする)。
そんななか、帰省や旅行で遠出する人も多いだろう。水分補給のためにペットボトルのドリンクを持ち歩く機会が普段以上に増えて、飲み終わったペットボトルを駅や空港のゴミ箱に捨てることもあるに違いない。そのとき、ゴミ箱のかたちにちょっと注意を向けてみると、そこにもデザインの工夫が込められていることを発見できるかもしれない。
ここ数年、公共空間のゴミ箱の写真を撮り集めてきた。最初に意識して写真を撮ったのは何の機会だったかあまり覚えていないものの、手元には駅や空港、公園や大学キャンパス、商業施設などで撮ったゴミ箱の写真がだいぶ集まってきた。それらを眺めてみると、多くの人が行き交う混み合った場所で、燃やせるゴミやビン・カン、ペットボトルなどをきちんと分別して入れてくれるように、ゴミ箱の上面や側面の表示、形状に工夫がなされている。

たとえば上の写真は、2021年にJR東海の名古屋駅ホームで撮ったものだ。左から順番に「ペットボトル」「新聞・雑誌」「ビン・カン」「その他のごみ」という分別が書かれているのと同時に、ゴミの投入口がそのゴミ自体の形状に合わせてある。たとえばペットボトルは小さい円形の投入口に、新聞や雑誌は薄い紙状のものを入れやすい細い長方形の投入口に捨てる。自分の手元にあるゴミの形状と入口の形状が対応していることで、文字で書かれた情報を読む前に直感的にどこへ入れればよいかがわかる。
ゴミの投入口を丸と四角で区分する工夫はだいぶ以前からあったが、形状の種類を増やしたり色による識別と組み合わせる例など、分別方法を伝えるための工夫がさらに発展してきているように思う。ゴミの分別の種類が増えたこととも関係しているのかもしれない。

駅や空港など多くの人が行き交う場所では、当然ゴミもたくさん出る。正しく分別してほしいが、急いでいたり手荷物が多かったり子ども連れだったりと、落ち着いてゴミ分別の区分を読んでいる余裕がない人もいる。ついうっかり、分類を誤ってゴミ箱に入れてしまうこともあるかもしれない。悪気はないのに間違えてしまうとしたら、それは捨てた人の責任というよりも、わかりにくい形状のゴミ箱をつくったデザイナーのせいなのではないか。
ゴミの分類に限った話ではない。デザインが適切でないために、ユーザにとって使いにくかったり、使い方がわからないものになってしまう例は他にもある。たとえばおしゃれなビルの中で、部屋のドアの開け方がわかりにくくて入れない…といった経験がある人もいるかもしれない。世界中のデザイナーに多大な影響を与えた認知心理学者のドン・ノーマンは、『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』*の冒頭に、こう書いている。
「私は引いて開けるドアを押してしまったり、押して開けるドアを引いてしまったり、スライドするドアに突っ込んでしまったりする。」
こんな経験をすると、誰でもつい恥ずかしくなって「間違えた自分が悪い」と思ってしまうが、ユーザー中心設計の考えによれば、間違えるのはユーザーの理解不足のせいではなく、デザインが悪いからだ。ユーザーは、身のまわりにある音やかたちなどの手がかりを通して適切な行動をとる。ゴミ箱の話に戻れば、たとえば新幹線を降りた乗客はホームの人の流れに乗って改札に向かいつつ、ゴミ箱の周辺に人が滞留しているのを見て自分もそのあたりに立ち止まり、お弁当やお菓子の空き箱でいっぱいになっているゴミの投入口に自分も手にしていたお弁当箱のゴミを入れ、空のペットボトルは丸い投入口に入れる。文字やピクトグラムの案内だけでなく、周囲の環境や状況から意識的/無意識的に自分の行動を選択する。公共空間のゴミ箱は、そんなユーザーの行動を前提にデザインされていなければならない。
そういえば、赤ちゃん向けのおもちゃに、丸・三角・四角のブロックを同じかたちの穴に入れて遊ぶロックブロックというのがある。手に持っているものをピッタリ合うかたちの穴に入れることに、人間は本能的に快感を覚えるのかも? ……などと大げさなことを考えながら、出かけた先のゴミ箱を見ていると、それぞれ工夫があることがわかってきて、飽きることがない。







駅や空港以外でも、商業施設や観光地、大学のキャンパスなど、大勢の人が利用する場所では同じような工夫がされているゴミ箱を見かけることがある。それらは、それぞれの施設の雰囲気や利用者の特徴に合わせてデザインされていることもわかる。









ここまで日本の事例を紹介してきたが、海外でも同じように、投入口の形状や色に工夫が施されたゴミ箱を見たことがある。そうしたゴミ箱を使っている場所や数自体はまだ多くはないように思うが、地域や施設の特徴に加えて、文化や習慣の違いも背景としつつ、これからもまだまだ新しいゴミ箱が工夫されていく余地があるのかもしれない。そう思うと、これからもゴミ箱探しが楽しみになってくる。




ここまでずっとゴミ箱の写真ばかりで申し訳なかったので、最後にひとつだけ風景写真を載せておこう。今回のエッセイの冒頭に使ったゴミ箱の写真は、ロンドンのケンジントン・ガーデンズで撮ったものだ。画面左下の遠くの方に、そのゴミ箱が小さーーーく写っている。雨風で劣化した古めかしい木の箱に近代的な概念である分別を示すピクトグラムが貼り足されていたり、お散歩中の犬がしたフンを捨てるゴミ箱がわりと新しそうな感じで並んでいたり、おまけにそれがなんだか郵便ポストみたいなかたちだったりして、こういう見慣れなさも嫌いじゃないんだよね、と思ったりもするのです。

* D.A.ノーマン 著、岡本明、安村通晃、伊賀聡一郎、野島久雄 訳、『誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ――認知科学者のデザイン原論』、新曜社、2015年
※写真はすべて筆者による撮影。無断で転載・転用しないようにお願いします。一部写真に加工を施したものがあります。
]]>『5: Designing Media Ecology』の表紙の画像は、第1期からずっと中央に数字の「5」が配置されたレイアウトを使ってきた。

表紙の画像には、じつは結構こだわりがある。CG合成などで「5」の画像を写真に追加するのではなく、実体があるモチーフを制作してそれをカメラで撮影するなどして画像をつくっている。たとえば第1期1号の表紙画像は、感光紙で「5」の画像を浮き出させたモチーフにしている。第2号はミカン果汁を使ったあぶり出し、第3号はプロジェクタで地面に「5」の文字を投影、第4号は透明フィルムに文字をプリントしてフィルム越しに風景を撮影、といった具合である。手間も時間もかかるが、あえて紙の雑誌をつくるなら、表紙の画像も実体のあるものにしたいと思って制作してきた。
第2期『5: Designing Media Ecology』の発行にあたって、表紙のレイアウトはリニューアルしたが、メインに使う画像の制作方法は引き継ぐことにした。そこで第2期1号のために作ったのが、冒頭のモチーフだ。木の板に細い釘を打って、そこに細い刺繍糸をめぐらせて「5」の形が現れるようにした。最初に「こんな感じの写真を撮りたいな」と考えたときに書いたメモが残っている。

このメモに至るまでにいくつかの腹案があったのだけど、最終的にカラフルな刺繍糸と板を使おうと決めてからは、順調に楽しく作業を進めていった。メモにもあるとおり、まずは材料の買い出しから。新宿の手芸屋さん、愛知県長久手市にある大学近くのホームセンターをのぞき、さらにネット通販も使って、使いたい材料を買い集めた。

上の写真は、ホームセンターで手に入れた品々。手元に工具がなかったため、ノコギリやらカナヅチやら、ゼロからの買い出しになってしまった。職場は文系の大学なので、工作室などの設備もない。研究室のなかでギコギコと木の板を切っていると、「うちの大学でほかにこんな作業している人、いるんだろうか…」と不思議な気持ちになってくる。幸い不審者として通報されることもなく、順調に下地づくりの作業へ。

ちょうど良いサイズに切った板の木目の色を少し白っぽく調節するために、ジェルステインという塗料を何度か重ねて塗っていく。木の板そのままの色だと少し生っぽい感じが出てしまうので、写真を撮って表紙に使ったときにちょうど良い背景になることを目指して濃さを決める。

この板に、「5」の文字の形の紙を乗せて、上から細い釘を打ち付けていく。この釘に刺繍糸を絡めていくことで、板の中央に「5」の文字が出るようにしたい。糸の密度を想像しながら、釘の間隔を決めていく作業になる。

パチンコ台のようだが、これで土台は完成。次は、この釘に刺繍糸を絡ませる。事前に、右上あたりから赤→オレンジ→黄色→黄緑→緑→水色→青→紫という円環状の配色にすることを考えていたので、そのイメージに近づくように糸の色を選びながら少しずつ張りめぐらせていく。

ランダムに糸を絡めているように見えるが、じつは緻密に計算されている。……というのは嘘で、実際のところはわりと行き当たりばったりな感じで糸を張っている。そのため、全周360度のなかで色の配分が偏ってしまい、ちょっと戻ったり修正したりしながら作業を進めていく。

こうして完成させたのが、下の写真のモチーフ。

正面からだとはっきり「5」の文字が見える。表紙のメイン画像としてちょうどいい案配を見極めて、糸を張る作業は完了。ちなみに、板を少し横に傾けると、「5」の文字よりも釘と釘をつなぐ糸の方がよく見えてくる。

大きなネットワークの中心になっているように見える釘もあるけれど、辺境の地のような釘もある。糸と糸の間には不規則な重なりと隙間が生まれ、それぞれが思い思いの多角形を描き出す。ひとつの糸をたどっていくと、いつの間にか隣の色に変化して、ここからが何色とは言い切れない曖昧さの連なりが全体を構成している。今回の特集テーマ「間(あわい)の思想」から連想したイメージを、あまり直接的になりすぎず、かといって意味不明にもなりすぎない程度に、視覚的な面から表現できているといいのだけど、どうだろう。

第2期『5: Designing Media Ecology』第1号の表紙は、こうした手順で完成させた写真を使って制作している。このエッセイを書いている時点では、まだ印刷工程にまでは進んでいないのだけど、完成した第2期1号は、2024年3月のINSTeMのコンベンションでお手にとっていただける予定だ。中身の記事がもちろん第一なんだけど、お時間があったら表紙の写真にもちょっとだけ目を留めていただけると、とっても嬉しいです。
※写真と画像は、すべて筆者による撮影・作成。
(『5』第2期1号は2024年3月9日からINSTeMオンラインショップで販売中です)
]]>…移動の新幹線のなかで色に関するそんな記事を目にしたので、そこから連想して、今日は駅のホームと色の話をしてみたい。
混雑する駅では、乗客が並んで電車を待つことができるように、ホームの床面に線が引かれていることがある。路線数とそれらの相互乗り入れが増えるにつれて、行き先別に列を分けたり、降車/乗車の列を分ける必要性が増してきたためだと想像される。個人的には、名鉄名古屋駅のホームで行き先を案内するためにビニルテープで色分けをしているのを見かけたのが、最初に目にした例のひとつだったように思う。多分10年前にはすでにあったはずだ。


名鉄の床のテープはかなり手作り感があるが、それでも色によって行き先を区別する工夫はよくできているなと思う。もちろん、名鉄以外の路線でも、ホームの床に線を引いて乗車/降車がスムーズにいくようにしている例は他にもよく見かける。


たしかに、床面の色と文字を見ることで並ぶ場所がすぐにわかるのは便利だなと感じる。ただ、それが極端になっていくと、床面のほとんどが整列案内で埋め尽くされるようになっていく。2019年に京急・品川駅の色分け案内を最初に目にしたときは、正直、かなりギョッとした。


この駅は羽田空港に向かう乗客が多く利用するので、大きなスーツケースを持っている人も多い。また、JRとの乗り換え用の改札口に乗客が滞留しやすいため、やりすぎるくらい明確に案内する必要があるのだろうなと思う。とはいえこのインパクトが大きかったので、これ以来、いろいろな駅で床面の案内に目が行くようになった。正式なサインとして最初に設置したのが品川駅だったのかはわからないが、体感としては、ここ数年の間に描かれたように見える新しそうなサインが多いと思う。











鉄道事業者や駅によって、色分けしたり矢印やピクトグラムを使ったり、さまざまな工夫が凝らされていることがわかる。札幌市営地下鉄の例では乗り換え案内の矢印も床面に描かれているし、愛知のリニモの場合はホームに柱が多いせいで複雑な形の案内ルートになっている。各社のオリジナリティがあり、いろんな事情があるんだろうなと想像せずにはいられない。
当初、2019年に品川駅のカラフルな床面が目に入ったときは、足下から大声であれこれと指示されている気がして、正直かなり異様な光景に感じた。だがその後も続々と各駅で多様な色と形を工夫した案内を目にする機会が増えて、これはこれでアリなのかな…という気持ちになってきた。駅の利用者それぞれが状況に応じて他者に道を譲ったり、順番に並んで乗車したりできれば理想的だけど、現実はそうもいかないのだろう。中途半端なルールをつくってもうまく機能しないので、このくらい強烈に指示を出すほうがいいということかもしれない。駅構内の景観の落ち着きは犠牲になるかもしれないが、割り込まれたり突き飛ばされたりする不快さと、乗降に時間がかかったせいでの列車の遅れは軽減しているはずだ。駅を利用する際の快適さの基準をどこに置くかという問題を、カラフルな床面からは問いかけられているように感じる。
ところで、複数の色の違いを使って案内することには一定の効果があるが、色覚が異なるとどのように見えているのかも気にかかる。そこで、簡易的なものではあるが、Adobe Photoshopの機能を使って色の見え方を模擬的に表示してみた。下の写真は、「左上=元の写真」「右上=グレースケール」「左下=P型(1型)色覚」「右下=D型(2型)色覚」で表示したもの。



人間の網膜上にある視細胞と呼ばれる細胞のうち、錐体細胞は、色彩の違いに対する感度を持つ。錐体細胞は3種類あり、それぞれ赤・緑・青周辺の光の波長に反応する。赤の光を受け取る錐体細胞の感度が低かったり機能しなかったりする場合の色覚をP型(1型)色覚、緑の光を受け取る錐体細胞が同様の場合の色覚をD型(2型)色覚と呼んでいる。日本人の場合、男性の約20人に1人(5%)、女性の約500人に1人(0.2%)がP型・D型の色覚を持っているとされる。また、白内障など後天的な理由でも色覚は変化する。
以前は色覚を「正常/異常」の二択で理解することもあったが、程度や種類はさまざまだから、今は「色覚多様性」という言葉を使って「色の感じ取り方は人によって違いがあって多様だ」という理解の仕方をしている。駅のように多くの人々が行き交う場所では、できるだけ多くの人にとって使いやすい環境が求められる。案内板の多言語化や音声案内などに加えて、色の違いを利用した案内では、多様な色覚があることを前提に設計される必要がある。
それを踏まえてさきほどのシミュレーション画像を見てみると、1つ目の新今宮駅の例では、色相差(色みの違い)も明度差(濃さの違い)も工夫されているように思う。とくに降車エリア/乗車エリアの違いがはっきりしているのが良い。2つ目の品川駅の例は、グレースケールで見ると全体的に同じくらいの明度(濃さ)に見えるが、降車エリアは大きめの矢印の形で明確に区別されている。赤と緑の見分けにくさも、明度差とピクトグラムを使って解消しようとしているように見えて、なるほどと思った。3つ目、一般色覚ではもっともカラフルに見えた大阪駅の例は、黄色とオレンジ色の箇所がどちらも黄色に見える上に、明度差もあまりないので、少し見分けにくいように感じた。ただ、降車エリアが高明度で目立つように工夫されているのは、他の2つの駅と同じく、乗降客がぶつからないようにという狙いだと思う。
色の感じ取り方がさまざまなのと同様に、使いやすさの感じ方は人によって違うはずなので、どれが正解でどれが不正解とは言い切れない。ある人にとっての使いやすさが、ある人にとっての使いにくさになる場合もある。だから、唯一無二の最適解を目指すのではなく、場所や状況に応じて各自がベターな選択をできるように、工夫を重ねていくしかないんだろう。
そんなことを思いながら、あらためて、日本流行色協会のブルーとPANTONE社の桃色に目を向けてみる。色に「良い色」と「悪い色」があるわけではないけれど、この2色がそれぞれ今年の色として選ばれたことには、今だからこその意味があるような気もする。
2024年が知的で冷静で、人の温かさを感じる年になりますように!

※写真と画像は、すべて筆者による撮影・作成。無断で転載・転用しないようにお願いします。一部写真に加工を施したものがあります。
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オランダに行くのははじめてで、まずは空港に着くこと自体が楽しみだった。というのも、アムステルダム・スキポール空港といえば、書体デザイナーのアドリアン・フルティガーが設計した書体Frutigerを使った完成度の高いサインで有名な空港だからだ。ただ今回は、空港の話ではなく、トイレのサインとデザインの話をしたいと思う。
オランダでいくつかのミュージアムなどを見たなかで、印象に残った男女共用のトイレがある。たとえば、アムステルダム市内にあるアルティス動物園のトイレのデザインだ。


園内には上の写真のように、男性と女性が並んで立っているピクトグラムのサインが設置されている。そのうちのひとつは、入口をはいるとまず手洗いスペースがあり、その先が男性用個室と女性用個室、車椅子・おむつ交換用の個室に分かれる造りになっていた。

また、園内の別のトイレは、男女共用トイレと、車椅子・おむつ交換用トイレの2つに分かれていた。男女共用トイレのほうは中に個室が並んでいて、そこに男性も女性も並ぶようになっている。このときはわりと混雑していて、たまたま女性ばかり5人くらい並んでいた。見ていておもしろかったのは、子ども連れで入ってきた男性が、女性ばかり並んでいるのを見て「おぅ!」と驚き、一度ドアの外を見て男女共用だということを確認してから、決まりが悪そうな顔をして入り直してきたことだ。オランダでは男女共用トイレがわりと普及しているように見えたが、そうは言っても異性ばかりの中に入っていくのはやっぱり気まずいんだなぁと思った。
アムステルダム市立美術館のトイレも、ちょっと興味深い造りだった。


写真では少しわかりにくいが、トイレの入口らしきドアが2つあり、ひとつには「TOILET」のサインがあるが、もうひとつにはサインを剥がしたような跡だけがある。ドアを開けてみると、どちらも中にトイレの個室が2つずつあった。以前は男性用トイレと女性用トイレだったのを、どちらでも良いように名前だけ変えたのだろうか(変えたというか、剥がした?)と想像したのだが、どうなんだろう…。
また、オランダでは、ピクトグラムではなく「WC」の記号でトイレを示すサインを何箇所かで見かけた。たとえば下の写真では、車椅子やおむつ交換台のピクトグラムはあっても、男性/女性の人のかたちのピクトグラムは使われていない。




ピクトグラムはわかりやすくて便利だが、「男はズボン、女はスカート」という価値観を(悪気はないけど)視覚的に表現してしまうという点で、多様性が重視される時代には合わなくなってきたのかもしれない。「WC」のマークは日本ではあまり見なくなったけど、むしろあえて男性/女性を強調しない「WC」マークにしたんだろうか。本当にそういう意図なのかは知らないが、なるほどなとも思った。
とはいえ、「WC」を読めなかったり意味を知らなかったりしたらサインとして役に立たないわけで、やっぱりそれは困る。公共施設のトイレを案内するために人のかたちのピクトグラムを使うのは、国際標準化機構(ISO)のPublic information symbols(一般案内用図記号)というカテゴリーのなかでも規定されている。もちろん、オランダでもやはり多くの施設ではピクトグラムが使われていた。







オランダに限らず、公共施設のトイレで男性/女性の人のかたちのピクトグラムが使われている例は多い。普段、ピクトグラムを見るとつい写真を撮ってしまうので、手元にはこういう写真がたくさんある。








海外で目にして印象に残った例としては、ほかにアメリカ・カリフォルニア州のトイレのサインがある。人のかたちのピクトグラムに加えて、下の写真のように「男性=△」「女性=○」の出っ張りを付けることが推奨されているのだという。これにより、視覚に不自由があっても手で触ることで男性トイレ/女性トイレを区別できるようになっているそうだ。




ところで日本では「男性=青(寒色系)」「女性=赤(暖色系)」に色分けをしたピクトグラムをよく目にするけれど、じつは海外ではそうでもない(注1)。これは、色の区別がつきにくい色覚を持った人への配慮でもあるのだろうが、そもそも慣例として男女の色分けが定着していないからだ。普段日本の大学のデザイン関係の授業でそんな話をすると学生たちはみんな驚くが、それだけ国内では男女の色分けのピクトグラムが定着しているということだろう。






色の違いは文字や記号の形状よりも直感的に把握できるから、この慣習が定着していることもよくわかる。日本の案内用図記号を策定している交通エコロジー・モビリティ財団の資料にも、次のように書かれている。「わが国では、男子の図記号に寒色系の色彩が、また女子の図記号に暖色系の色彩が多く使われています。男女の識別性能を向上させるために、そのような慣例色を用いることは現実的な判断です。(注2)」
たしかにそのとおりで、色で区別がつくことは多くの人にとっては便利だ。でも一方で、子どもの頃から「男は青、女は赤」という慣習のなかで暮らしてきて、「女の子だからもっと可愛い色の服を」なんて言葉にモヤっとした記憶がないわけでもない。だから、色で男女の別を表現しないピクトグラムを使うことにも一理ある気がする。実際、日本でも男女の別を青/赤で色分けしていないトイレのサインを目にする機会も増えているように思う。







ただし、色分けしなければしないで、今度はどっちが男性トイレでどっちが女性トイレかわかりにくいと感じる人もいる。たとえば下の写真は、勤務先の建物の中で見つけたトイレのサイン。正式に設置された男女マークのピクトグラムは黒色だが、あとから誰かが青と赤の貼り紙を追加している。たぶん、慌ててトイレに駆け込む人が間違えないように、気を利かせたんだろう。

もうひとつ、こちらはオフィスなどが入っている駅前の大きなビルの中のトイレ。もともとはグレー地に白いピクトグラムだが、やはり水色とピンクの貼り紙を追加してある。

慣習に基づく使いやすさを優先するべきか、性別による固定観念を崩していくべきか、たかがトイレのピクトグラムひとつに過ぎないけれど、身近だからこそ大事な問題でもある。誰だってトイレに入らずに暮らしていくわけにはいかないんだから、他人ごとではないはずだ。トイレのことをおおっぴらに話すのも恥ずかしいし…とか、ジェンダーがどうとか言いはじめるのも大げさでは…みたいな感覚があるかもしれない。ただ最近では、ジェンダーや多様性を尊重する文脈でトイレの話題がニュースに取り上げられる機会も増えた。
デザインとの関連で言えば、日本では案内用図記号のJIS改正に伴って、交通エコロジー・モビリティ財団の「標準案内用図記号ガイドライン2020」に「男女共用お手洗い」「こどもお手洗」などのピクトグラムが追加された(注3)。男性か女性かだけではないトイレの選択肢を、視覚表現の面からも支えていく必要性が増しているのだろう。実際に、従来の男女別とは違うかたちのトイレを見かける機会も増えて、なるほどこういうピクトグラムを使っているのかと興味深く思うことがある。





現実的には、多機能トイレやオールジェンダートイレに変えようと思っても、施設自体をつくり変えるのは難しい場合もあるだろう。ただ、男性用/女性用の個室に分けるのをやめて、冒頭で紹介したオランダの男女共用トイレのようにサインだけ貼り替える方法も、たしかにいいなと思う。そういう例のひとつとして、最後にもうひとつだけ、オランダで見かけたサインを紹介したい。歴史的遺産になっているシュレーダー邸を見に行ったときのトイレのサインだ。


建物の隣に受付やグッズ売り場があり、その中にトイレの個室が2つある。もともとは男性トイレと女性トイレだったんだと思うけど、今は2つともに同じサインが貼られている。このサインがちょっと珍しくて、見る角度によってピクトグラムの絵柄が変化し、男性マークにも女性マークにも見えるようになっている。子どもの頃に不思議な絵として見たことがあるような、いわゆるレンチキュラーレンズを使った仕掛け。遊び心があって、なんだか楽しい気持ちにさせられた。
多様性を尊重する社会を、デザインの立場からどう実現できるのか。真面目な問題をこういうライトさでさくっと片づけるセンスって、けっこう貴重だ。いつでも使える手じゃないけれど、できればこういう軽やかさも見習いたいなと思う。
注1:海外では唯一、仁川国際空港で男女色分けされたトイレのピクトグラムを見たことがある。
注2:交通エコロジー・モビリティ財団、https://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/data/zukigo_naiyo.pdfより
注3:交通エコロジー・モビリティ財団、https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/tourism/122483c2b4666b8e91b3bbe10d853d78.pdf参照
注4:写真は、村田麻里子さん提供。
(注4以外の写真は、すべて筆者撮影。)
]]>…と書き出してから、「え、ホントに10年も経ったっけ?」と心配になってカレンダーを数え直してしまったが、どうやら本当に10年目を迎えたようだ。10年なんてあっという間だなと思うと同時に、名古屋に来た当初の気持ちをちょっと思い返してみたくなってきた。
普段、大学でデザイン関係の授業や研究をしているから、身のまわりで誰かがデザインしたものを見かけると、つい興味を持ってしまう。名古屋に来て最初のころに印象的だったのは、地下鉄の駅構内の貼り紙の多さだった。とくに、地下鉄のホームから地上にあがるエスカレーターの乗り口あたりの貼り紙が目をひいた。




エスカレーターを安全に利用してもらうための注意書きが貼られているが、よく見ると、その内容がかなり重複している。歩かずに立ち止まって乗ってほしいという意味のことが、文章、イラスト、ピクトグラムなどを使って示されている。
重要なお願いだから、何枚も貼りたくなる気持ちはわかる。でも、地下ホームから改札に向かう途中に立ち止まってじっくり内容を読む人がいるんだろうか…と、妙に印象に残った。というか、ここで立ち止まられたら通行の邪魔でしょうがないじゃないか…。
そんなことを考えながら駅を歩いているうちに、ほかにもいろいろな貼り紙が目に入るようになってきた。




上の4つは、個人的に「駅にどんだけ危険な人がいるんだよ!シリーズ」と名づけたくなる注意書き。ラッシュアワーの混雑する時間などはとくに、エスカレーターを駆け上る人が多いんだろうなと想像できる。同時に、駅員さんたちが一生懸命こういう貼り紙をつくって、構内の安全を守ろうとしている様子も目に浮かぶ。デザイン的にはまったく洗練されていないけれど、不器用だからこそ、言うことを聞いてあげないと気の毒ではないか…と思えてきてしまう(それを狙ってこうつくってるわけじゃないと思うけど)。

同じ注意書きをたくさん貼るという点では、栄駅のこのゴミ箱も見過ごせない。飲料の空き容器以外は入れないでほしいというステッカーが、こんなに並んでいる。毎日多くの利用者が通る駅なので、ゴミも多いのだろう。この貼り方からは、なんとなく自棄(やけ)になっているような印象も受けるが、その気持ちもわかります…。

こちらは、この柱の背面に、電車の緊急停止ボタンがあることを伝えようとする貼り紙。左のシールには「停止ボタンは柱の左側」と書かれており、右のシールには「停止ボタンは柱の右側」とある。柱のどっち側からまわっても同じボタンなんだけど、たしかにこう書くしかないのか…?と、ちょっと微妙な気持ちになる。

これも緊急時の停止ボタンを案内するサイン。この柱の下の方にあるボタンが小さくて目立たないせいか、赤い「STOP」のマークが3つも貼ってある。柱や壁の死角になって見えないことがないように念を入れたんだろうけど、この角度から見ると、こんな近くに3つも貼らなくても…と、つい思ってしまう。

つづいては、「コインロッカー」の文字が背面に貼られたコインロッカー。名古屋駅や栄駅など、大きな駅でよく目にする。改札の中からはこの面だけしか見えないので、「コインロッカーありますか?」と駅員さんがよく尋ねられるのだと思う。だから背面に文字を貼っておくのは理解できるけど、どうしてこの書体にしたんだろう…とちょっと気になる。見るたびに『エヴァンゲリオン』の書体を連想してしまい、頭の中でエヴァ初号機のBGMが流れてしまう。


これも手づくりらしき貼り紙。交通局が設置した正式のサインもあるが、そのすぐ下に貼り紙を足したということは、道を聞かれることがよほど多いのだろうか。ビニールテープで矢印を描いたり色分けしたりして、とても手がかかっている。でも文字数が多いのと明朝体のせいで、個人的にはどうしてもまたエヴァのBGMが聞こえてきてしまうのだけど…。

これはわりと最近、コロナ禍以降にできた貼り紙。地下のホームを通ると混雑するため、空いているルートを通ってほしいと案内している。ひとつ前の写真は地下鉄丸の内駅で、これは本山駅なので、制作者は別の方だと思うのだけど、テイストがなんだか似ている。A3用紙を継ぎ足してつくる手法も共通している。異動してきた同一人物の手によるものか、丸の内駅を参考に制作した後継者がいるのか、想像がふくらんでしまう。
ひとつひとつはなんてことのない貼り紙やサインだが、それをそこに設置した人物のことを想像すると、どれも人間くさくて愛らしく感じられる。もちろん、こういう洗練されていない貼り紙を追加することで、かえって情報がわかりにくくなっていると考えるプロのデザイナーもいるかもしれない。また、あちこちに思い思いの貼り紙が追加されるということは、正式に設置されたサインの案内が不十分だったということだから、この現状はデザインの敗北だと考える人もいるだろう。でも、空間は、日々更新されていくものだ。ここにこんな貼り紙があるということは、なにかに気づいた人がいた。どんな問題に気づいてこういう工夫をしようと思ったんだろう…と想像すると、駅はただの移動経路ではなく、人の血の通った空間なんだという感覚がわいてくる。名古屋の人たちの創意工夫精神が、こういうところにあらわれているんじゃないのかな、と思う。
スタイリッシュで格好いいのがデザインのすべてかというと、そんなことはない。かといって、ユーザビリティとか使いやすさのためのデザインという言葉も見るが、それだけがすべてということでもない。ダサさと表裏一体の愛着、そういうデザインもあるのかなということを、名古屋に来て学んだ。10年目の春に、今そんなことを感じている。
写真:すべて名古屋市内で筆者撮影
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